日本共産党学生組織(学生支部,学連グループなど)では,党機関から,党員であることを対外的に秘匿するように指導されるし,実際に学生党員は自分が党員であることを党外の人,父母や親しい友人なども含めて,黙して語らない。

 表向きの理由は,就職で差別されたり,学内で「反共攻撃 」にあったりするのを防ぐためだ。しかし,就職差別があるとすればそれと闘うのが共産党員のつとめではないのか?それに,別に周りの友人知人や親兄弟に,自分が党員であることを伝えたとして,就職先・求職先に伝わることはほとんどない。 就職差別を避けるというなら,単に相手に党員であることが伝わらないように気をつければいいだけの話である。さらに言えば,党関係の大衆団体に名を連ねれば,本当に反共的な企業はその時点で党員だと判断するだろう。その点では,求職先にも,さらに言えば公安にも筒抜けなのだ。公安や権力傀儡による,政治的な「攻撃」だって,そのようなものは今や(あるいは,ずいぶん前から)存在しない。真の反動勢力は,赤旗と党員の拡大に明け暮れる日本共産党は,放っておいても勝手に消滅すると思っているだろう。こうしてみると,事実上,秘匿の対象は学生でしかない。いま,日本共産党の勢力伸長を恐れて,それを邪魔しようとするなんて本気で思っている学生はまずいない。一般の学生は,共産党・民青のださいビラを嘲笑しているか,共産党の非民主的性格を正しく批判しているかのだいたいどちらかである。結局,自分が党員であることを学生に対して隠すことによって避けているのは,反共攻撃ではなく,学生からのまっとうな批判の声や不支持の態度に向き合うことではないのか?おそらく,自分が党員であることを明らかにすれば,周りの学生からは共産党に対する批判や不支持の声をかけられることになるだろう。それと向き合うのが怖くて,周りの学生に対して,自分が党員であることを秘匿しているに過ぎないのではないか?周りの学生を信頼せず,党を神格化し,その矛盾を,自分が党員であることを秘匿することによって糊塗しているだけではないのか?だいたい,党員であることに自信があるなら,周りの学生の批判や不支持の声に対して,自ら積極的に支持を呼びかける方向に議論をすることもできるだろう。結局,周りの学生と同じ土俵で議論すれば,党のさまざまな虚構に向き合わざるを得ず,党への結集を維持できなくなることを,自分が一番よく知っているからこそ,周りの学生と党のことについて堂々と話せないのではないのか?そんな軟弱な姿勢で,将来,政治活動が出来るとは到底思えない。せいぜい,組織内部の官僚的地位に安住することくらいしかできないのではないか?

  党員であることを対外的に秘匿することは,自らの党員としての政治的責任を放棄していることにも等しい。さらに悪質なのは,党員であることを秘匿するのを党外の学生にも強制し,事実を指摘したに過ぎない学生を攻撃してはばからないことである。ここで,憲法の規定を党派的利益のために利用する日本共産党は,日本国憲法の敵といっても過言ではないだろう。誰が何党員であることを言ってはならないと誰が決めたのであろうか?共産党が勝手に言い出しただけである。だいたい,なぜ,「誰誰は日本共産党員である」ということが悪いことなのか?結局,自党に属していることに,心の底からの自信がないのではないか?世の中に恥ずかしいことであるという認識が自分にも少なからずあるからこそ,党員であることを指摘されることに敏感に反応してしまうのではないか?そして,そのことを,「党外の人々は真実を知らされていない」などと,党外の人を見下すことによって合理化しているのではないのか?党に所属していることを親に対して隠している人は多いと思うが,「遅れた意識の親はどうせ理解しない」という蔑視があるのではないか?また,自分たちは党員であるということを言えないということを,自分たちのハンディキャップだと一方的に定義し,学生と議論するのを避ける等することの免罪符にしているのではないのか?あるいは,それに対して周りの学生は配慮するべきだという底意があるのではないのか?

 学生党員諸氏は,まず,自分が党員であることを周りの学生に明らかにしてはどうだろう。あるいは,隠すのをやめるだけでも良い。それで党に対する批判を聞かされるなら,それは反共攻撃でも,反共風土による無理解でもなく,学生の声そのものである。おそらく,党員であることを明らかにし,周囲の人の言うことを聞けば,早晩,党が間違っていることに気づかされるだろう。それならそれで辞めればよい。前述したが,結局,それが怖いのではないのか?政治活動を行う上で,忠誠を誓うべきは,市井の人々であり,「唯一前衛」たる党ではない。どの政治勢力がもっとも人々の利益を代表しているかは,不断に検証されるべき性質の事柄であり,間違っても,特定の政党がその使命を天賦のように負っていることはない。自称しているだけならなおさらである。党を辞めるのを怖がるべきでないし,そもそも,辞めるのが悪いことのように思われる,神格化された党という時代錯誤なあり方こそ,党がすでに終わった存在であることのなによりの証左である。

 この点は,実は日本共産党の体質を端的に象徴する部分であると思うし,学園の自由と民主主義をねじ曲げてきたものであるので,引き続き,論じていきたい。そうした意味で,今回のエントリは「試論」としてある。

※2013年1月4日19時30分追記 こちらでご紹介いただきました。まさに,私の言いたいところをまとめてくださっています。