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 あのソフトなイメージを前面に出した志位委員長が,実は,過去に,異論を排除するために,スターリン主義そのままの粗暴な「論文」を書き,それをいまだに総括したことがないことについては先に述べました
 書記局長に抜擢される前の志位氏の論文は他にいくつもあるのですが,今回は,「今日における組織と人間―青年の生きかたの問題にもふれて―」という論文を紹介します。この論文は,『前衛』1987年4月号に掲載され,その後,1987年9月に,パンフレットとして刊行されたものです。
 当時,大学においては,共産党・民青の退潮が著しく,そのてこ入れとして書かれたものでしょう。大学生の間に普及し,進歩的組織に結集することの必要性を浸透させることを目的とした,かなり手の込んだ論文です。日本共産党の組織論のエッセンスが凝集された論文でもあり,いまでは無名ながら,日本共産党の体質を知るためには必読の論文の一つだと思います。ぜひぜひ,お読みください。
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 この中から,特に面白い部分を3つ挙げましょう。他にも,トンデモな議論のオンパレードです。

 前衛党の規律は,こうした自覚的規律という点で,たとえばチームを組んで登山をするときのルールにたとえられるかもしれません。登山チームのメンバーにたいしては,どのようなコースをえらぶか,悪天候の時にどういう行動をとるかなどについて,リーダーの指示にしたがうなど,一定のきびしい集団的規律がもとめられるのは当然です。それはときに命にかかわる危険がともなうこともある登山という共通の目的を,安全かつ確実に達成するためにどうしても必要とされることです。こうしたルールに従って山に登ることは,個人個人にとって,たいへんな肉体的,精神的緊張と努力を要することです。これが,個人の自発的意志に基づかないものであったら,それはたんなる拷問にも等しいことです。しかし自発的意志にもとづくものである以上,だれも登山における規律を,個人の自由を侵す外的強制であるとは考えないでしょう。
 このようにみてくると,前衛党の民主集中制の規律は,けっして「自由」と対立するものでもなければ,外からおしつけられた「強制」でもありません。それは,人間の自由を拡大し真に自由が花ひらく社会をつくるための規律であり,人間の自由な活動の条件である社会と歴史の法則の正しい認識のうえでもっとも合理的な規律であり,人間の自由意志にもとづく自覚的規律にほかなりません。前衛党における規律をみずからの生活の基準としてこそ,人間はより高い次元での自由を得ることができるといえるのではないでしょうか。
(42ページ) …大学生に読ませる文章なのでしょうか。また,最後の一文は,もはやお笑いです。

 学園でも,国際勝共連合=原理研などが,さまざまないかがわしい偽装サークルを学生獲得の主要な道具として位置づけ,その反共謀略活動をすすめています。これらのものは,いくら「自主性」などをよそおっても,基本的には青年を支配したり利用していくための道具であり,サークルにかけた青年の願いを本当にかなえるものではありえないでしょう。(26ページ)  …自分たちがやってることそのもの?

 論壇の一部にも,発達した資本主義国での革命という特殊性を理由にして,前衛党の民主集中制の規律の必要を否定したり,その弱化をもとめるという議論もありました。これらの議論においても,前衛党の規律は,敵とたたかい人民の解放を勝ちとるために必要なものであるという観点ぬきに,個人や人間を抑圧する危険性をもつものであるという角度からとらえられていました。そうなると結局,組織の規律は弱ければ弱いほどよいということになってしまうわけです。
(33ページ) …この論文中で,規律の必要性という一般論を繰り返し,規律の内容についてごまかそうとする,志位氏の議論のほうがよっぽど一面的です。

 この論文は,それだけ読めば完成された論理を形成しているのですが,少しでも,一般社会の論理をもってして読めば,根本から誤っていることは容易にわかります。この論文をどう評価するかが,日本共産党に対する見方のわかれめになると言っても過言ではないでしょう。そして,学生党員諸氏は,この論文を読んでみて,果たして,日本共産党の組織原則はそんなに素晴らしいものなのか,考えてみてほしいものです。この論文を読んでも,なお,党が正しいというのなら,もはやあなたは向こう側の世界の住人でしょう。